今回の紹介本は、『人新世の資本論』です。
読みにくいですね。
「じんしんせい」と読んでしまいがちですが、人新世(ひとしんせい)と読みます。
資本主義が危機に陥っており、その暴力性がむき出しになっている21世紀では、マルクスの「資本論」は、より良い将来社会を構想するための実践的な道しるべになると本書では述べられています。
「人新世」の環境危機においては、資本主義を批判し、ポスト資本主義の未来を構想しなければなりませんが、そうは言ってもなぜ今、マルクスの「資本論」なのでしょうか。
日本ではソ連崩壊の結果、マルクス主義は大きく後退しました。ところが近年、世界に目を向けると、マルクスの思想が再び脚光を浴びています。これまで多くの人が、資本主義の弊害に気づきながらも、それに抗う術をこれまで持ち合わせていませんでした。そして、「資本主義を超克(ちょうこく)」できないと考えられていました。しかし、本書では晩年マルクスの思想に焦点を当て、現代の行き詰まった世界を乗り越えようと試みています。
本ブログでは、それを少し要点をしぼってまとめてみました。
詳しく知りたい方は、
『人新世の資本論』
・斎藤はピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の『資本論』」である
(佐藤 優氏)
・気候、マルクス、人新生。
これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。
日本は、そんな才能を待っていた。
(松岡 正剛氏)
・気候危機を止め、生活を豊かにし
余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら。
(坂本 龍一氏)
・資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。
だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。
常識を破る、衝撃の名著だ。
(水野 和夫氏)
2020年9月に出版されてから、売上ランキングでも常に上位をキープしている人気の一冊。また『人新世の「資本論」』の著者である斎藤幸平さんが、NHK Eテレの番組「100分 de 名著 資本論」に出演したことで大きな話題となりました。19世紀の思想家カール・マルクスの「資本論」の特集で斎藤幸平さんは、「気候変動や環境問題といった喫緊の問題に対応するための社会ビジョンが資本論のなかに眠っている」と指摘。
*NHK Eテレの番組「100分 de 名著 資本論」→こちら
そこで、この『人新世の「資本論」』について簡単にまとめていきます。
目次
0. 本の構成
「気候変動もコロナ禍も資本主義が犯人だ!」
産業革命以降、技術の進歩と引き換えに環境破壊が進んだ
↓
国連がSDGsを提唱。しかし、これでは不十分→「気候ケインズ主義の限界」
↓
「SDGs」ではなく、「経済成長から脱成長へ」
↓
人新世のマルクス
↓
脱成長を実現するためにコミュニズム社会の実現を提唱
↓
平等で持続可能な社会へ
1. 人新世とは
「人新世」(Anthropocene)とは、人間の経済活動が地球を破壊する新たな時代のことで、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けた言葉です。つまり、「人新世」は資本主義が生み出した人工物に伴う負荷や矛盾が地球を覆い、後戻りできないところまで来ている、と警鐘を込めての言葉と捉えても良いでしょう。
産業革命以降の技術進歩はめざましく、人々の生活は豊かになるはずだった。しかし、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実です。特に第2次世界大戦後の経済加速の急成長とそれに伴う環境負荷の飛躍的増大は「大加速時代」とも呼ばれ、その加速は、冷戦崩壊後さらに強まっています。そもそもこんな時代が持続可能なはずがなく、「人新世」時代は破局に向かっていると本書は訴えています。
最近では新型コロナウィルスによるパンデミックや気候変動による異常気象が、私たちの文明生活を脅かすようになっています。要するに、資本主義の暴走のため私たちの生活・環境がめちゃくちゃになっており、中でも深刻な問題の一つが「格差の拡大」です。
「南北問題」や「南北格差」を学校教育で習ってきたかと思います。
これまで、資本主義のグローバル化により、「北側の先進国(本書ではグローバルノース)」が「南側の発展途上国・新興国(本書ではグローバル・サウス)」を経済的に搾取してきました。グローバルノースは、経済成長のため開発を進め大量生産・大量消費を豊かな社会を実現してきた一方で、グローバルサウスから収奪や環境破壊などの負荷を押し付けてきました。つまり、このグローバルノースとグローバルサウスの関係性はコインの表裏のように、現代のありふれた日常を支えており、切っても切り離せない関係なのです。グローバルノースで豊かな社会が実現できるのはグローバルサウスの存在があるからです。
昔、私が証券会社の新人時代に、ある先輩に言われたことを今でも覚えています。
「営業成績の悪い人が土台となって、営業成績の良い人が存在するんだ」
悲しいかな、この言葉は職場や学校だけでなく、国や政府、世界のあらゆる場面で同じことが言えるのです。私たちのこの世界は、それら全てを含んで成立しているのです。
2. SDGsで持続可能な社会が実現できるのか
また、人類がインフラ整備のために過剰な森林破壊を引き起こし、さらには今回の新型コロナウィルスは生物の多様性が失われた結果とも言われています。気候変動もウィルスのパンデミックも人新世の帰結であって、資本主義のツケを払わされていると言っても良いしょう。
SDGsって最近よく聞きませんか?
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。
2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。世界各国の機関および企業がこの目標に向かって日々取り組んでいます。この取り組みは、これまでの環境破壊を改め、私たちの地球が住みやすく持続可能であるために、各々ができることを積極的に行って行こうとするものです。
ではSDGsで本当に持続可能な社会が実現できるのでしょうか。
本書では「不可能」と喝破しています。
SDGsだけでは環境問題は全く解決できない。皆がSDGsに真摯に取り組むことで、あたかも環境問題に向き合った気になっているため、誰も問題の本質に目を向けていないと指摘。SDGsは現代の苦悩から逃れる「大衆のアヘン」とさえ言われている。
レジ袋削減のためエコバッグの使用が一般的になっていますが、これも善意な行動で捉えられていることが、むしろ有害であるとしています。
世界各国の政府機関や企業はSDGsという共通目標を持っていますが、SDGsを提唱した国連が、コトの本質と向き合わないままスローガンだけを掲げたことにより、問題を認識していながら世界をミスリードしているということにおいて、ある意味、戦犯とも言えます。
3. 経済成長ではなく、脱成長こそが温暖化などの環境問題を解決する道しるべ
経済成長をしながら、二酸化炭素排出量を十分な速さで削減することは、ほぼ不可能です。となれば、経済成長をあきらめ、脱成長を気候変動対策の本命として真剣に検討しなければならない。「人新世」の時代にどんな脱成長が必要なのか。
「脱成長」とは何なのか?
成長しないというのは、清貧?衰退?停滞?
違う。
「脱成長」は、平等と持続可能性を目指すことです。つまり、GDPだけを重視する経済から脱却して、人間と自然を重視し、人々の必要を満たす規模を定常することです。そのためには、資本主義と毅然とした態度で対峙しなくてはなりません。労働を抜本的に改革し、搾取と支配の階級的対立を乗り越え、自由、平等で公正かつ持続可能な社会を打ち立てることこそが「人新世」の脱成長です。
「人新世」時代のハードランディングを避けるためには、資本主義を明確に批判し、脱成長社会への移行を要求することが求められています。脱成長を実現するためには何が必要か。それが「コミュニズム」です。これはマルクスの「資本論」で読み取ることができます。
コミュニズムとは、わかりやすく言えば、社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして自治管理をしていく、平等で持続可能な定常型経済社会です。
例えば、山に流れる水は、そこに行けば誰でも飲むことができます。しかし、お金を持っている人がその山を買い取って、「ここは俺の私有地だから勝手に水を飲むことは許さない」と言うばかりか、その水を「商品」として市場に売り出したら、公共であった水は希少性をもち、もはや社会の「富」としての価値を失います。現代の資本主義のように、一部の資本家による富の偏在によって格差が広がる社会ではなく、平等で持続可能な社会の実現を、晩年のマルクスは見出したのです。
実際に、資本主義以前の西欧および非西欧にはそうした共同体社会がありました。共同体では、「富」が一部の人に偏ったり奪い合いにならないように、生産規模や個人所有できる財産に、宗教の力を使って強い規制をかけて、いわゆる「定常型経済」を実現していました。そのため、飛躍的な生産の増大もなく、自然に対して必要以上な負荷をかけることもありませんでした。
誤解をしないように付け加えると、マルクスが考えていたコミュニズムは、社会の「富」を全て国有化して、生産手段を国営化していたソ連のような共同体ではないということです。そうではなくて、一人ひとりの「個人的所有」はもちろん否定しないけど、水や森、あるいは地下資源といった根源的な富は「コモンとして」みんなで管理していこうということです。
4. 今こそマルクスに学ぶ
グローバル資本主義に対抗すべく、ローカルなコミュニティや自治体がグローバルにつながり始めている。これは何を意味するのでしょうか。
近年の経済格差、気候変動、そこに重なった今回のパンデミック。「資本主義はそろそろ限界かもしれない」と感じている人は多いのではないでしょうか。これからも、これまで通り経済成長と技術革新を続けていけば、いつかみんなは豊かになるというトリクル・ダウンの神話は、もはや説得力を失っています。
では、どんな社会、どんな世界で暮らしたいのか。そのために、私たちは何を選択するのか。特に私たちの世代は、ほとんどが戦後の資本主義のモデルしか知らず、旧ソ連のような社会も望んではいません。
しかし先述の通り、世界ではコモンの領域を広げていこうとする動きが市民を中心にして広がり、国際的な連帯を生み出しています。知を持ち寄って、偏見なしにあらゆる可能性を考える、ということではないでしょうか。今のような危機の時代こそ資本論を読んで、資本主義の強固なイデオロギーを打破し、今とは違う豊かな社会を思い描く想像力や構想力を取り戻すことがあっても良いのではないでしょうか。
詳しく知りたい方は、
『人新世の資本論』